Wearham Boat Club




 

 ---- あ、あ、…あ、ああああああああ--っ…

 喉から、絞り出すような嬌声が迸った。悔しい事に、なんとか押しとどめていた感情が表出してしまったのだ。それまでは、ちいさな吐息で逃していた声を一気に放出したその瞬間から、私の声帯からは獣のような叫びが堰を切ったようにもう留めようもなく出続け。なにかを考える余裕さえなく、喉が、唇が、自分の意志とは無関係に動いて止まらなくなってしまった。かすれた声で。もうやめてくれ、赦してくれ、と云う言葉のなんという説得力の無さよ。涎と汗を垂らして痙攣しながらそう懇願したとしても、優しく敏感な前を刺激され、後ろを貫かれた躯はがくがくと震えながら何度も達し、しまいには全て絞り尽くされようとも快感の煉獄から逃れられず、放出しきって震える総身は喉とも唇とも、頑固な脳さえともうらはらに、もっと激しい愛を欲しいとせがんでいる。彼は私の反応に満足したように組み敷きながら、熱い息を耳に、そして首筋に吹きかけ、どくどくと波打つ血脈の上に噛みついた。熱い舌と頚筋の痛みが狂う程に心地佳い。だが、それを悟られたくない意固地な自分が居た。


 私が自分の性的な嗜好に気がついたのは、おそらく、第二次性徴を迎えるころだったかもしれない。気がつけば、性欲の対象は柔らかくて白い手足の異性よりも、日灼けした二の腕や厚い胸板で、自分の視線はそれらのものを自然に追っていたし、幸いなことに母国はそのような嗜好も許す環境だった。

 そのころ自分は身売り同然に養い親に売られ、いきなり放り込まれたギリシアの聖域とやらは、同じ嗜好を許容する環境以外は理解不能なシステムでしか無かった。私の能力について、教皇と名乗る得体の知れない老人が一言二言云ったあと、黒いヴェールに顔を隠した執政官たちに髪の先からつま先まで散々吟味され、修行地であるというシベリアに送り出された。

 私は普通の子供であれば生きてさえ居ないであろう極寒の地で、一人きり、どこからとも無く、強いて云えば星の導きのように脳髄に伝わり教えられる宇宙の物理法則を叩き込まれた。

 それらはすべて私の血となり肉となり、まずは生きるための知恵、その次に闘技を学んでいった。だが、他にも十一人いるという黄金聖闘士にすらほとんど会ったこともなく。 自らの存在に関しての空虚感はどうしても払拭できなかった。修行生活に一息ついたころ。もっとも簡単な慣性の簡単な物理法則を利用し、とある「倶楽部」に通う習慣ができつつあった。

 

 ウェラムボートクラブは、地中海に浮かぶ豪華客船の中にあった。古い由緒ある船を改造してつくられた海の上の淫糜な秘密の社交場では、そのような場所にふさわしい人々が古き良きスノッブを気取り、心のシルクハットを放り投げ、アスコットタイを解き、ムーランルージュやあるいはコットンクラブさながらに毎週狂乱の宴を繰り返していた。

 普通のクラブと違い、会員はすべて男性。目的はたった一つ。紹介が必要な筈だったが、なぜか私はすぐに入会を許された。今考えると、多少は聖域の息がかかっていたのかもしれない。


 紅い爪は、一晩限りの遊び相手を求めるごく簡単な合図だった。入会時、正装した執事にベルベットの箱に静かに鎮座した『ルージュ・ヴェルニ』をうやうやしく渡される。内容の淫糜さとそれを隠蔽するルール。そして私の髪の色にそれは合っていて、妙に仰々しいシステムは私の自虐的な欲望にも合致していた。狂乱のミラーボールの元でさえ、あるいはフロアを離れた暗いバーで呑んでいる時でさえ、爪と髪の紅い可視光線の波長とのシンクロニシティは私を満足させた。その頃には大概の物質の組成や質量、エントロピーが解るようになっていたから。

 ジャズのスウィングと酔いに身を委ねながら、お互いの合意の上とすこしだけ愉しむ駆け引きのあと、毎夜違う適当に気に入った相手を選んだ。そこでわたしは人間と云う生物の性的な嗜好のヴァリエーションを驚き、やや自分を含めて一人前に俯瞰しているような皮肉な目で愉しみ、呑まされる強い酒の味を覚えた。


 おそらく、徐々に理解し始めた窮屈な境遇に、反抗したい年頃でもあったのであろう。もちろん圧倒的な能力を磨く事もそれなりに刺激的ではあったが、 自身の偏執狂的な性格、そして青年期の性的な興味とそれによる破滅的な快楽。そういったものに妙なカタルシスを求め、倶楽部に通う日々が続いていた。

 「彼」に出会ったのは、そんな遊びにも少々飽きてきた時分だった。躯を求める人間を見つけ出すのはあまりに簡単すぎ、酒の味は覚えても少々のアルコールでは酔うことのできない自分の体質に気がつき、だが満たされぬ反抗心から何となく惰性で通っていたころだった。 

 クラブの中には客船の名残の部屋があり、波の揺れでは無い、きしむベッドの揺れを感じながら、一時の快楽に身を任せるのも馬鹿馬鹿しいことだがあのときの私には必要なことだったのだろう。一夜を共にする男達は『まるでガニュメデスのようだ』と腰を優しくなぞり。あるものは『絹糸のようだ』と紅い髪を撫で、少年と青年の間に佇む躯を隅々まで賞賛し愛でた。想像した通りの、だが実際は退屈な快楽はもたらされ、私は刹那的な愉しみを識った。だが実際には私は自分の容姿についてこれっぽっちも興味はなく、ギリシャ神話の少年となぞらえて褒められる毎に、これは社交辞令で、こういう場での快楽の共有がなされる合図だとしか思えなかった。 

 そして、私は全ての相手を忘れていった。一度寝た相手とは二度とは寝ないと決めていたし、あったのは単に性への興味であり、相手への興味ではなかった。そんな心理に苦笑しながらも、下らぬ遊びにだらだらと溺れていた。

 

 ある週末の晩、私は何となく物憂い気分で、何も期待せず、一杯の酒だけを望んでクラブに居た。その日は、ただ酔いたいだけの気分だったのだ。

 そのとき、私の前に現れたのが、同じぐらいの年なのに妙に場慣れした男で、今までに声をかけてきた少々年上の男達とはすこしばかり違っていた。豪奢な金髪をなびかせた男は名をミロと名乗ったが、こういう場所ではそのような名称はさほど意味を持たない。

 彼は完璧にここの空気に馴染んでいて、その時はどんな相手も受け入れる意思表示を示すドレストアップをしていた。カルロリーバの薄紅色のシャツをわざと着崩し、白蝶貝のボタンを二つ三つ開いて日焼けした胸を見せつけ、仕上げには一粒ダイヤのネックレス。そんな格好で真紅の人差し指を見せながらグラスをあげ、乾杯のポーズを取りながらこちらに近づいてくる様子といったら、まるっきりジゴロで。だが似あいすぎているが故に可笑しくてたまらない。

 反対に、その日の私はだた酒を飲むつもりだけのつもりで、一応絹のマオカラーシャツに黒のジャケットを着ていたが、かなり地味な服装をしていたつもりだったから何故私に彼が声をかけてきたかすら解らなかった。

 私は、彼の瞳を見つめながら悪戯ごころを起こした。彼は、こう云った場所によくいる、洒落もので不真面目で、だが気のいい男だ。直後に、その認識は全く違うと解ってしまうのだが、一見ではそうみえた。

 ミロはあらためて私を見た、蒼い瞳はからかうように細められ

「今夜、一人?」とお決まりの台詞を吐いて来る。

 なるほど、似つかわしくなく堅苦しい格好をしている私をからかうつもりで居るな?だがあとでほえ面をかくなよ?

 横に嫉妬の視線を感じた。一度寝た男とは寝ないと決めていると何度退けても、私に逢うたび、「私のガニュメデス」などと下らぬ事をいい、ひっきりなしにプレゼントを贈ってくる斜め横に座っている男。

 退屈していた私は、やや面白くなり、ミロにちいさく微笑んでみると、驚いたかのように蒼い虹彩が興味深げに開いた。 彼は最初から、私に断られると思って、からかうつもりだったのだろう。私が此の場にふさわしくない、要人の付き添いだとでも思って。だがおあいにくさま、私は戦闘用に育てられつつある氷の猛獣だ。

 そう思った私は、わざと「ああ、何の声もかからないな」と応えてみる。

「本当に?」

「ああ、なんなら今日の相手になっても、構わない。」

 更に皮肉げに笑うと、彼は「そんなことを言って、意味がわかっているのか?」などと一人前の口をきき、嬉しそうにまるで営業用に見える程の奇麗なウインクをしながら、客室に私をエスコートした。何度も通い慣れた扇情的な赤い絨毯といくつもの薄暗いシャンデリアを通り過ぎ、彼の仕草に笑いを堪えながらも、わざと何も知らない振りをして付いていき、バスルームのある一等客室のドアを閉めたとき。からかってやるつもりが逆転されそうな強い気配を感じ。すこしばかり、しまった、と思った。だがその時には既に遅かった。


 閉じたドアに押し付けられた。そのような膂力を持つ者がいるなど、在り得ない、と思った瞬間。熱い唇は口腔内をこじ開け、そのまま舌は器用に口蓋をまさぐった、上口蓋をじれったいほどにゆっくりと撫で、歯列をなぞる口づけは、脊髄を這い、つま先まで届きそうな甘い痺れをもたらした。やっと唇を離して息を付いたときには、今までに体験した事のない快楽が、ウォトカほどに私を酔わせ喉をひりつかせていた。


 しかも、さっきまで遊び人を気取っていた、人懐っこい視線は。突如として深く蒼く染まり、強い目線に圧倒された。深い森に棲む獣のような視線は、切なく縋るように私を求めていて、いままで賞賛に使われていたどの言葉よりも私を満足させた。

 そうしてなにも言わず、採集した蝶を貼付けるように私の手首を掴んだ彼は、囁くように「ルビーみたいだ」とひと言だけ云った。ドアに押し付けられたまま、なす術もない私のジャケットをミロは口と歯だけで器用にはだけさせ、そのまま熱い唇は私のシャツの上をゆっくりと移動していった。その熱は一枚だけ素肌に羽織っていた絹のシャツ越しに、私の乳首の上を触れるか触れないかの焦れったさで行き来した。布一枚を経た愛撫は悶える程にもどかしく、薪をくべられてじんじんと熱くなり始めた胸の先を、絹の上から囓られた。唾液で薄く透けた乳首は恥ずかしいほどに尖ってしまっていて、そのうちに私は吐息を吐き、おそらく自らの負けを認めた。---おねがい、もっと…噛んでくれ…あ、もっと、つよ…く----。

 そのときの正確な言葉は憶えていない。ただこのように好き放題に躯を弄られたことなど無かったから、混乱した脳髄は快楽を何倍にも受け止めていた。行為の続きをねだった自分がどんな淫猥な言葉を吐いたかすら解らない。そのキスと愛撫で半ば放心して壁にくずおれた私を、満足そうにベッドへ押し倒しながら、彼は私の弱点をみつけると丁寧に。そして優しく執拗に責めたて、最後の切ない吐息が漏れるまで決して、赦さなかった。


 こんな愛撫は知らない。

 今までの男達は自分の欲望を満たすために私の躯を使って通り過ぎていったから。そう『使った』という表現がぴったりとくるものばかりだった。

 彼はいままでに無い程に私を丁寧に、そして乱暴に扱った。私を翻弄し、揺さぶり、欲望の深い淵へ初めてたたき落とし、演技ではない嬌声、いや、それよりも酷く獣のような絶叫をあげさせた。一応、男なら、自分ですることもある。だから、達するのは生理現象であることぐらい解っていた。だがこのような喜悦の高みがあるなどと識らず、実際私は泣きながら懇願したのだった。…も…やめ…あっ、あああっ!ゆるして、くれ……。むろん躯は狂う程に彼の指をそして躯を求めているのだが、この愉悦の先に行ったら自我が崩壊してしまう様な恐しさを感じて、だが震える程の圧倒的な快楽の波にさらわれそうになりながら、ただ叫んだ。

 当然のことながら彼は許さず。早鐘のような動悸とふいごのような息をしながら、脳髄が白くなったような初めての感覚の中で、一回目のオーガズムを迎えた。

 

 意思に反して声だけが自分から独立したように部屋中に響き、高く掲げられた自分の脚が、彼の日焼けした腕よりも白いことを不思議な気持ちで眺めながら、躯はがくがくと痙攣し、喉は押えても押えても悲鳴に埋め尽くされた。

 ……ひっ、ああっ。んんっ、私は息をするたびに短く奈落へ落とされた様な哀声をあげ、 長く引く声をあげては達した。--- あ、ああっ、やめ… ----いくうううっ、 ひ、あ、ああああああっ---。

 だが一つの波が引く前に、次の快楽のるつぼに引き戻され、躯も喉も休む間さえなかった。おそらく最中に何度かドライに達したが、なにも出るものがなくなったとしても、次に待っていたのは無限の悦楽の輪廻だった。その男が「いつもそんなに乱れるの?」などと涼しい声でいうものだから、悔しくて泣きながら縋るように首筋に抱きつき、肩口に歯をたててそれでも止まらない声をどうにかしようと私は焦る。インターバルを置いて反撃さえ出来やしない。自分の痴態は彼の目を愉しませ、びくりびくと蠕動する内腔が体を悦ばせるだけのようで、抽送される熱いものは、的確に男の快感の部位を抉ってくる。下腹部は何度も放出された自分の体液にぬかるみができていて。びちゃびちゃと湿った水音と自分の声しか響かない部屋は酷く暑い。……んっ、ひっ、あっ、ああっ、あああっ!いっ、ひいっ、ひああっ、ああっ、ああああああっ、ああっ、あ。あ-----っ……。最後私は壊れたぜんまい人形のように、がくがくと止まらない反復運動をくりかえし、背を限界まで反らせたまま、放心して気を失うようにベッドに倒れ込んだ。

 躯につけられた激しい愉悦の爪痕は、想い返すと疼く程に記憶に残るもので、そして、主義を返上してでも、もう一度会いたいと思わせる程のものだった。演技では無く、芯からの快楽で自分に声をあげさせる男に初めて出会ってしまった気がした。




続→