女神を無事にホテルの玄関からリムジンに乗せると、クリスマス週間から始まった俺たちの仕事は一旦終わった。
交替でリムジンに乗っていたのはアフロディーテとデスマスクだったが、新年のパーティ漬けの毎日もあいつらならうまくやれるだろう。
他のグラード財団の職員の真似をし、日本式にお辞儀して車を送ったときの二人の顔ったらなかった、まず俺に気がついて二人が軽く手を振った。次に和装で優雅に頭を上げたカミュを見てデスマスクは一瞬ぽかーんとし、その後、高級な革のシートの中で笑いを堪えたアフロディーテがカミュに挨拶するのが解った。
大きなシルバーの車体はホテルの車寄せをゆったりと出たかと思うと、すぐに止まった、なんだ…?と思って見ているとデスマスクがさっと降り戻ってきてこっそり耳打ちする。
「ミロ、お前さ『........』って日本語しってる?」
「いや? 知らないな。」
「調べてみな、これからのお楽しみ、羨ましいぜ。」
にやっと笑い俺の肩を叩いて去るデスマスクの横で『何を言ったのだ?』というするカミュの言葉は聴こえない振りをした。…なんとなく黙っておいたほうが楽しそうだったからだ…あとで調べよう。
仕事が終わって周囲を見回してみると、ホテルのエントランスには赤やら金色を基調にしたフラワーアレンジメントや見た事の無い木を割ったオブジェが飾られていた(ドアマンに訊ねたところ「カドマツ」というらしい)。真横に置いて弾く弦楽器をキモノの女性が弾いており、何もかも物珍しくもうすこし見ていたかったが。カミュはなんだかもう限界に近く「マダム...荷物を..。」と一生懸命な英語で余計な事をおずおずというボーイを絶対零度の冷ややかな目で見下ろし、自分でガッシと荷物を掴んだかとおもうとスタスタと贅を凝らしたホテルのエントランスを通り抜け、最上階へと向かうガラス張りの高速エレベーターに乗った。
部屋に戻ると、カミュはそれまでの緊張の糸が切れたようにぐったりとソファに横になった。
「背中に板を入れたようだったぞ、人心地がしなかった。まったくなんなのだ。」
俺は心の中で『…でも凄く似あってるよ。』と思ったが、そんなことを言ったら怒られそうだから黙っていた。でも真紅の髪だけがすこしほつれほどけて、柘の櫛がふかふかしたクッションの上に転がっているしどけない姿にしばし見蕩れる。
脱ぐのも大変そうなこの「オビ」という腰飾りと上に着ている高そうなキモノが辛いのだろうなと思い、とりあえず帯締めと帯留めだけとって高そうな振り袖と帯をクローゼットに掛けて戻ると。
すこし楽になったのか、無地の薄ピンク色のローブのような下着と軽そうな赤い帯だけの格好でカミュはすうすうとソファの上に眠っていた。
そうそう、こんなときに昔のことを思いだす。
オンナノコ、なんて真っ黒に日焼けした近所の子供しかしらなかった俺は、初めて紹介されたとき、この帯に散る紅い花のような髪に白い肌の目の前の存在がまず本当に人間なのか、男なのか女なのか、ましてや聖闘士候補なのか理解できなかった。
そしてまじまじと見てお前の瞳があまりにも透き通ったルビーのようだったから、作り物かと思ってつい『どん』と胸を突いて地面に押し倒し「俺の勝ち!」って言ってみたんだ…まあガキだったんだな、俺も。
だけどその時、睨みながら『C'est une attraction!(おあいこだ!)』と言いかえされ、気がついたら押し倒した手が凍っていた。そして今と同じく頑固な色に、悔し涙がうっすらと浮かぶ幼い炎の瞳を見て。俺はこの汚くてほこりくさい聖域で初めて宝石を見た子供のように、その透明な涙に魅了されたのだった。
そして今、しどけなくソファに眠っているお前はとても奇麗でそのまま何かしてしまいたかったが、そういう事は本意ではない。俺だってちょっとはオトナになったんだよ。でもここに居て理性をたもてる保証もなかった。だから、かるく瞼に口づけをし、この格好のまま寝ていて欲しいと願いながら俺はニッポンの街に買い物に出かけた。
何処の国の正月でも人の賑わいは変わらないようだ。ニッポンの正月もアテネのクリスマスから新年にかけての喧噪を想い起こさせた。シンタグマ広場は様々なイルミネーションで飾り付けられ、エルム通りにも屋台がたくさん出て、夜遅くまで人の流れが絶えず、露天で伝統の菓子がたっぷりと売られるんだ。俺の好物はすっごくあまくてアーモンドが入ったアレなんだよなあ…と思ってふらっと入ったマーケットに、各国の食材があっておどろいた。
へえ、凄いなあ、と思いながら、俺はKIKOKUNIYAでありったけの酒とお菓子を買った、ギリシャの菓子が売っていたのでよく見たら、フランスの祝い菓子も酒もある。俄然たのしくなってきて、ニホンシュというこの国の酒を皮切りにたっぷりと食材を買ってホテルに戻った。
部屋に帰ってみると、カミュは少し人心地ついたらしく、キモノのまま備え付けの冷蔵庫のミネラルウォーターを飲んでいた。そのまま振り向くと、すこしさっきより柔らかい表情で。
「腹が減ったな、寝てしまってすまん。着替えてどこか出かけようか」
といって帯に手を伸ばそうとするので、俺は思わず手を伸ばして止める。
「どうした?」
カミュが怪訝そうにいう。
「えっと。いっぱい...買ってきたんだ。疲れているかと思って。」
「そうか、では着替えてそちらのテーブルで食べようか。」
と、また帯に手を伸ばし着替えようと歩き始めるのを一生懸命止めるとカミュもおかしいとおもったようで
「言いたい事があるならいってみろ。」
と、少々不機嫌に答える。多分俺の気持ちとか何も理解できていないこいつがこういう事を言い出したらもう直球で答えるしかない。
「あのさ…お前は嫌かも知れなかったけれども、そのキモノ、よく似合ってる。
すこしだけ、ローブだと思って着ていてくれないかな。俺、まだちゃんと見てないし..。」
するとやっと気がつき照れたようにいう。
「わかった。この格好ならそんなには気にならん。大体『キモノローブ』を着るのは私の母国でもよくある事だしな。それにしてもこれはきっとシルクだな、あのコルセットのような帯を巻かなければとても着心地がよい。」
そういってカミュは機嫌をなおしてダイニングルームに向かい、俺はほっとした。