天井の円窓から切り取られた星々がしんしんとふる夜更け、俺はベッドサイドの小さな灯りの下で、カミュへの手紙を綴る。
こうして手紙をしたため、記憶の底から何度も出さないと、忘れそうになる、いや、忘れたくない優しい記憶。
お前がシベリアに帰ってしまっても、一日目はなんとか平気だ。
空港まで送りに行き、あるいは見送り出来ない勅や仕事が入ってしまっても。宮に帰れば、まだお前の気配、使った食器、形がくずれたシーツ、床の濡れたままのバスルーム。そして、ふと気がつくと、肩先や、寝転がったベッドの上に紅い髪が絡まっているのをみつけることが出来るから。俺はそれを眺めては、お前の残り香が移った枕を抱きしめ少しだけ安心して眠る事ができる。
そのあと数日は何かと理由をつけて部屋を片付けさせないようにする。侍従も多少は解っているのだろうが、それにも限界がある。
ある日、長くかかった勅から汗みずくで帰って来ると。そこには真っ白に洗濯されたシーツと、奇麗に拭き清められたバスルームが俺を迎える。
いや、それが普通なのだが。
奇麗に整頓されたがらんとした部屋に居ると、なんだかひとりぼっちになってしまったような気がして、こんなに想っているのは自分だけなのではないかという気がして。
だから、いつも、お前を待つ間。出す予定もない手紙を書き続けてしまうんだ。
『カミュへ
こちらは相変わらずだ。
今日も正しいのか正しくないのか俺には判断ができない討伐をいいつけられたよ。
俺の一閃で何人もが死んだ。子供も老人も居た。
肩に残ったのは鋭い痛みだった。とはいっても、相手に傷をつけられたのではない。俺にそのようなことができるものなどお前以外にはいやしない。ざあざあと屍体の山に降る冷たい雨、激しい大粒の雨が愉悦の頂点でお前がつけた肩の爪痕にひびいたよ。
背中の爪痕にそっと触れるとまだうっすらと血液が付いた。すじを引いて指についた紅いろを舐めると、噛み付くように貪るように交わした鉄錆の口づけの味がした。
その紅色を俺はうっとりと眺める、これは血飛沫の色、俺の聖衣のルビーの色、そしてお前の髪と爪の色だ。
こんな仕事をした暗い雨の日には妙にセンチメンタルになってしまっていけないな、と想う。
だからつい、おまえがシベリアに向かった時の会話を思いだしてしまったよ。
ーこんどはいつ?この傷が消えないうちに逢えるか?
ーそれは無理だろう。
ー解っていても、そんなことは云わないでくれよ。
ー確かに、未来のことはわからないな。ではそういうことにしておこう。
そういって、無理に笑顔をつくらないでくれ。行きたくない、と普通の恋人同士のように泣いてくれよ、たまには。
だがそんなこと、俺たちにはできやしない。だから、嘘でも笑って話を続ける。
ーでは、多分、この傷が消えるまでには
ー本当だな?
ーいや、確約はできない。解っているだろう?
嬉しそうに応える俺を諭すような笑顔が、網膜から当分離れなかったんだ。』
はは、また余計なことを書いてしまった、と冷えきった肩のバスローブを引き上げ想う。どうせ出さない手紙だ、捨ててしまおうか、未練のようだ。だが、思い直し、丁寧に封筒に入れ。赤いベルベットを敷いた引き出しにしまった。そこにはいつからか俺の想いが積み重なっている。
…飛行機から更に鉄道を乗り継ぐと、見慣れた白い平原が私を迎えた。
一日目はまだ良い。服に、髪に、躯に。お前の匂いが残っているから。だが、翌日には強い吹雪と激しい訓練で、お前の少し大人びてきた躯の香りはすぐに吹き消されてしまい。替わりに、すこし幼い汗と血の匂いが、修行小屋に充満する。
だからわたしは、夜中に耐えきれずペンを取る。電源の供給さえ不安定な此の地の小さな電灯のあかりのもとで。
『ミロへ。
こちらは相変わらずだ。相変わらず何も無い。
今日も弟子たちに訓練をつけて一日を過ごした。
氷点下のなか吹きさらしになって、彼らに一心におしえていると、どうも自分の躰のことは後回しになってしまう。
心は、もっとままならない。ふとした隙にお前のところに馳せてしまっている。だが、自分はいったいお前にとって何なのだろうと考えるのがすこしだけ怖い。
このまえ閨房で興奮のあまり齧られた耳のあかぎれが、かさぶたになって、また氷の上で血を出して剥がれた。
だが、その傷でさえ愛おしく、そっと撫でていたら、弟子たちに「先生が怪我をするなんて珍しいですね」などと興味深々に尋ねられた。ここでは私に敵うものはいないから、どうやって質問に答えて良いのか戸惑った。
ミロ、お前は、もう私に傷をつけるほど熱く愛したことなど忘れてしまっているのだろうか、もしかしたら私だけの片想いで終わる関係なのだろうか。同じように想って欲しいというのは贅沢なのだろうか。
そう、親友、その名前のままでいい。きっとお前も私も誰かを娶ったらこのような関係は青年期の一過性の熱病だと笑って話せる日が来るのだろうか。だがそのようなこと今は想像もできないほどに辛いのだ。そんな私をお前はどう思うのだろう。』
ああ、こんなことを書きたいわけじゃない…。だいたい私はこの手紙を出すことがあるのだろうか。いつか、いっぺんに送り付けてやったらいったいどんな顔をするのだろう。ふ、それとも一生見せずに居ようか。
すこしだけ悪戯に微笑んだ水瓶座は、貴重な灯りを消し、粗末なキャビネットの隠した引き出しに仕舞う。そして、そろそろ一杯になりそうなその手紙入れを、弟子達に知られぬよう注意しながら、静かに鍵をかけた。
『カミュへ
今日の鍛錬で、背中の傷口がひらいた。お前が思い切り爪をたてた跡だ。なんだか、すこしだけ近くに感じるようで嬉しかったよ。おかしいかな?
さすがに、たまには訓練しよう、などという黄金を相手にするときついものがあるな。獅子座は黄金の中でも膂力があるから、手合わせはかなり楽しいのだが、明日きっと全身の筋肉痛になりそうだ。
不覚にもおれはその傷口の痛みで帰ってからバスルームに直行しなければならなかった。躯の汚れじゃないんだ。爪を立てられた時の記憶がフラッシュバックした。お前の愉悦に耽溺した蕩けそうな視線、そしてその悦楽をなんとか隠そうとし、声を抑えようとして、ぎりぎりと俺の肩に爪を立てたお前の姿を想い出し、バスルームの中で一瞬のうちに俺は達した。
この間帰ってきた時。お前の紅いネイルをみて惚れ惚れとした。顔には出さなかったが、なんて美しい指なのだろうと。ああ、この爪で俺に絶頂の刻印をなんども刻んで欲しいと密かに願った。
嬉しいことに「私の手を取るお前の視線に私は酔うのだ」と。カミュは云う。俺はそれに酔い、自分のどろどろとした深い欲張りな内面に溺れそうになる。恋は欲張りなものだと、最近すこしだけわかってきたよ。もしも俺の想いが一方通行でもいい。だから、もっと強く皮膚を抉ってくれ、忘れられないぐらいに。痛みと愛されているかもしれないという期待は、同一のものとして俺の脳に深く刻まれてしまったよ。』
『ミロ。どうしたらよいだろう。
いや、このようなこと、だれにでもある自然の現象だが。
今朝、お前に齧られた耳の痛みとそのときの睦言を想い出して夢精してしまっていた。お前は時に酷いことをいう。
この間も私の「飢え」を敏感に察知して、酷く乱暴に耳を噛んだな。電話の向こうそのままの声でただ私だけを次々に甘く、そして非情なことばで責め立てた。私は、なんということだろう。それだけでも幸せだったのだ。耳朶への刺激だけで耐えられなくなって荒い息を吐いた私の一部分を他の食べ物と同じように剥き、敏感な切っ先を軽く撫でただけだった。たったそれだけで、自分は達してしまった。
いけない、凍らないように作った水のほんの余りで下着を洗って居たのだった。読み返すとかえすがえすもくだらぬことを書いた。
だが、またいつか、耳を強く噛んで欲しい。酷く苛んで忘れられないようにして欲しい。そのような事ばかり考えている自分を滑稽だとは想う。この手紙は出すことはないだろう。それでは、また。』
深夜、蠍座は出す宛もない手紙を丁寧にたたみ、クローゼットにまた一つ想いの形が積もった。同じ夜、紅色の髪の想い人がそっとキャビネットに手紙を仕舞った事を彼は知らない。
そして、極寒の地の水瓶座も、ともすれば相手を想ってなにかをしてしまいそうな両手を静かにベッドの上に組み、眠れぬ夜を過ごす。互いに、あと幾晩乗り越えればよいのだろう、と想いながら。
FIN
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2013/4/27