ぐっすりと眠るカミュの規則的な呼吸と、シーツに広がる艶やかな紅い髪を見下ろしてシャワーで流した汗を拭きながら。俺は、ベッド脇にゲオルギヌスの印刷されたくしゃくしゃのドラクマ紙幣をマネークリップに挟んで数枚置いた。
その行為がカミュのプライドを傷つけるかもしれない、なんて、気がついたのなんて後のことで。商売女との経験しか無かった当時の俺は、蟹座の先輩が教えてくれたそういうやり方が。スマートで、後腐れがないと信じていた。
だいたい、セックスのあと。どう振る舞っていいかなんて、知らなかったんだ。
---- Hold all the chips ----
きっかけなんて、想い出せない。有って無いようなものだった。
久々の休みをもらった午後、俺たちは人気のない近くの海岸で泳いだ。
その日はエーゲ海の透明度も高く。凪いだ美しい海面に、子供の頃に戻ったようにはしゃいで、波も風も気持ちよくて。
さんざんふざけて潜ったあと、どちらからともなく
『つかれたな』といって、岸辺にあがった。
そのとき、しなやかな魚のように水滴を滴らせてあがってきたカミュの髪が、夕日よりも紅くきらきらときらめき、若木のような躯にまとわりついて。
俺は、その姿にしばし動けずに見蕩れてしまった。
そんな間抜けた自分の表情を隠すために、ふざけておまえの髪をかきあげると、何故かお前からそっと唇をよせてきた。こいつにとっては挨拶がわりなのだろうか、なんて考えながらも、漂う潮の香りと、泳ぎで冷えた唇にしみいる体温の暖かさに、なんだか酔ったようになって、いつの間にか生っ白い躯を熱い海岸の砂に押し倒していた。
「相変わらず、細っこいな」
「うるさい。凍技に必要な筋肉はできている」
「でも、俺の方が胸板が厚い」
馬鹿なことを言ってしまった、子供っぽい意地と自慢。
でもカミュはそんな言葉には動じず。するりと俺の躯に腕を通した。
「確かにな、こうすると、なかなかに気持ちよい」
こう答えると、お前は静かに手を廻した俺の躯をすこし強く抱きしめ、胸板の厚さを測るかのように顔を埋めた。心臓の近くに耳をあてられた瞬間、急に鼓動の速さが妙に気になって、どうにかして気持ちを落ちつけようとし妙に焦ってしまった。
だが、そんな態度をとったかとおもうと、次の瞬間には気まぐれに『髪に砂が付いて気持ちが悪い』なんていうものだから、聖域には戻らず、宿をとってシャワーを浴びた。そのあとは…自分でも何故あんな事になったのか解らない。
----俺は、当時至って普通の性欲を持っていると思っていて、大抵の少年が思うように、自分はちょっとだけ早熟な体験をした。などと、くだらないことを自慢に思うようなガキで、すこし年上の先輩について娼館に行く事も結構好きだった。
むせかえるような白粉と香水の匂い、可愛がってくれる女たち、そんな居心地のよさもさることながら。男に好かれるために、選んでもらうために、一生懸命着飾って、誰かを待つ籠の鳥。そんな彼女たちの健気さに妙な親近感を頂いていた。
だいたい、自分達だってそうじゃないか? 俺たちは聖戦のために囲われた籠の鳥。いくら黄金のナイチンゲールでも、逃げる事も人生を変える事も出来やしない。そんな退廃的な気分に浸ることさえカッコいいと思っていて…。まあ、結局。なにも解っちゃいない子供だったんだ。
だから、夕日差し込む海辺のオーベルジュの一室で。シャワーを浴び、バスローブを羽織って出てきたカミュに対して、欲情を感じ、自分の躯の変化に気がついたたときには、何故?と驚愕し、自分の肉体を呪った。相手は同性だというのに。
どうして男の器官の反応は見えてしまい、躯はこう素直に反応してしまうのだろう。
だが、お前は「久々に暑い海に潜るのは疲れるな」とまったく俺の躯の変化に気がついていないような素振りで言い。バスローブを軽く巻いて、小さなオーベルジュのぱりっとしたシーツにするりと奇麗に横たわった。まるで俺の欲情を見透かしたかのように、そして凪いだ海のように平静に。
直前にボーイが持ってきてくれたオードブルとシャンパンを、お前は行儀悪くも優雅にベッドでつまみ始めた。目を細めて愛でるようにグラスを傾ける動作と、ごくり、と鳴るたびに上下する喉仏は、いままでみたどんな媚態よりも情欲をそそった。
その姿があまりにも美味そうだから、俺もほしくなって、腕を押さえつけ、カミュの口から奪い取っては食べる。取られまいとくすぐったそうに絡められてきた舌は、口移しで奪い取ったフリットと同じぐらい熱くて、とろけるようで、あんまりにも甘かった。
だから、というのもおかしいが、お前自身もきっとおいしいに違いないと思って、そのまま耳元から始まって体中を舐めてみた。唇から飲みかけのシャンパンが溢れ、整った筋肉に滴り落ち、垂れた胸筋を舐めたときが。引き返せない行為に溺れていく序章となった。
驚いた事に、カミュは俺の強引な行動を受け入れ、ベッドのふちに、そのすらりとした片足をのせた。太腿をぐいと大きく広げると、バスローブの間から覗くその器官は、既に自分と同じく滴り落ちそうな露に濡れて屹立していた。
俺は、お互いの欲望が同じであることに何故か安心し、最初は切っ先をちろりと舐めるように、次に徐々に大胆に口淫をはじめた。お前は俺の頭をもどかしく抱きかかえ、すこし震える指は、おずおずと、だが、もっと、と求めるように俺の髪をまさぐった。
すう、とのびた白い背は、俺の動きに合わせ、深く甘い吐息をついては何度もそりかえり、細かく痙攣した。その仕草はぞっとするほどに淫猥で、俺の脳を沸騰させ、夢中で先端の柔らかい部分を舐め回し、上下に擦ると。押し殺した声でひと言「あ…。」と、断末魔の声を上げ、お前はどさりとシーツの上に倒れこむ。
そこから先は、こちらにも、もう余裕なんてなくって。もっと、声、聞かせろよ、なんて、いいながら。なんども快楽の絶頂に連れて行き、愉悦に歪む表情を散々に見届けてから、最後に自身を深々と埋め、こころゆくまでゆさぶった。
煽られ続ける快楽に、何度目かの放出をした瞬間。カミュは俺の名前をかすれた声で何回か呼び、快楽の淵を漂いながら、俺がすこしだけしか知らない母国語で
「Je t'adore…Je suis heureux avec toi….」
と、自分でも気がついていないようなうわごとじみた睦言を、ちいさく言いながら目を瞑り、静かに眠りについた。
その、満ち足りたような寝顔を見つめながら、なぜそんな事をいうのか解らず俺は戸惑った。
行為中の自分は、なんだか必死で、こう云う欲求がどんな感情であるかなどと解らず、脳は言葉さえ紡いでいなかった。
だってわからなかったんだ、何故、気持ちがこんなにも昂り、そしてその紅い髪に埋まると落ち着くのか、それが、なんで、同性のお前なのか。
おそらく、格好を付けたつもりでも、あまりにも動揺していたのだろうと思う。
欲望を抱いた相手がおまえだったということに。そして、なぜかその行為が俺の心もからだも満たしていた、という事実に。そんな、溢れた心の盆から零れおちるような、やさしく、柔らかい感情をどう扱っていいのかとういことさえ、解らなかった未熟な俺の行った行為。それが、ベッド脇のマネークリップだった。
混乱したまま、ベッドサイドに紙幣を置き、頭痛のする頭でなんとか自宮に戻って倒れて眠ろうとしたが、なぜか涙が流れて止まらなくなった。
おまえは、母国語でたぶん『 heureux 』…つまり『しあわせ』といったな。しあわせ? いったいどうしてだ? だってあれは欲望の等価交換だったんじゃないのか?なぜ俺にそんな事をいうんだ。そんな透き通った瞳で。
親友なんだろう? 俺たちは。そうなんだろう?
じゃあ俺のしたことはなんだ? ただ欲望をぶつけただけだ。あの札はもうこれ限り、こんなことは忘れよう、という意味だ。そう、忘れなければ。 だが、お前が幸せだというのなら、俺が置いたくしゃくしゃのドラクマ紙幣は一体どういう意味を持つ事になるのだろう。このままお前に軽蔑されたまま過ごすのだろうか? 傷つけてしまったのだろうか。そんな思考がぐるぐると巡り、数日間はどうしていいか解らなかった。
悶々と過ごし、何ヶ月かにも感じた数日後、天蠍宮にカミュがやってきた。
すこしだけ真剣な表情、手には奇麗に真っすぐな札で揃えたマネークリップ。
やはり怒らせてしまったのだろうか、返しにきたのか、それとも軽蔑の言葉がでてくるのだろうか。そう思って身構えると、ふ、とちいさく微笑んでお前は言った。
「今日は私がお前を買う、シベリアは寒かったのだ。この値段分、暖めてくれ」
怒っている訳でもない、軽蔑している訳でもない、静かに自分の欲望と意思を自覚した瞳、そのルビーの深さに妙に圧倒され『このまま、こんな関係は終わりにしよう』などと、云おうと思っていた言葉は、喉元で飲み込まれてしまった。
俺とは違って奇麗に揃えられた紙幣をぶっきらぼうに受け取り、数えてみると、俺が渡した枚数より一枚少なかった。
「俺の方が安いという云う事か」
ちょっとだけむっとして言うと、カミュは笑って唇に頬をよせ、そんなことはないとさらりと微笑んでいう。
「もうすこし、シンプルでいい、ということだ。ホテルなど我々には似あわない。贅沢でなくてもいいのだ」
そんなことをいうカミュに、俺はすこし困ったような顔をしながらも、とりあえず手をつないで 夕陽の残照が照りかえす海岸に向かい、お前の躯を暖める場所を探しに行った。指を絡めてきたのはお前から。だから、俺は恥ずかしくて馬鹿な事を質問する。
「手をつなぐのも、料金のうちなのか」
「そう、今日は私のすきにさせてくれ」
そういって、くすくす笑いながら更に腕を絡めてきた。あれ、おまえって、こんなやつだったっけ? 本当はおれも嫌なんかじゃなかったんだけれども。
誰もいない海岸の、すこしごつごつとした熱い岩に、わざと強く躯をおしつけ、
「ここなら、誰もみてやしない」
というと。
「奇遇だな、私もここのほうが好きだ」
といって唇をよせ。
「海の匂いがする」と、あのときのように腕を廻し、俺の躯の匂いを気持ち佳さそうに嗅いでお前はそういった。
今回は立ったままの行為だったから、唇からのキスを徐々に移動させながら、海岸に落ちている貝殻さながらの耳を強く噛み、胸の突起を強く捻り上げるように抉りまわす。すると、夕日を反射して輝く紅い瞳は、熟したようにとろりと霞み、漏れいでる声は途切れ途切れの悲鳴のように、おれの耳を心地よく揺さぶる。
体中に痕をつけ、行為に至ると。カミュは 一瞬だけ、挿入の圧迫感と痛みに抗議したちいさな声をあげて、すこしだけ母国語で不平をいったようだった。
だが、そのうちにその声はすこしずつ湿り気を帯びて、 躯は徐々に細かく震え、ちいさく口の中でくぐもった声をあげ、一度目の頂点に至ると。
ふっとカミュの躯の力が抜け、握りしめていられなくなった手の中の砂が、さらさらと落ちていった。
そのまま何度も、苦悶の混じったような放心の表情を浮かべ、断続的に熱い息を吐いた。それが快感を得て出た声であることはもう、既に俺から見ても明白だった。
それでも、強情に。
「熱くて、ざらざらして、痛い」
などと、背中を押し付けられたのを好い事に、擦れた声で言った文句がすこしだけ聞こえたが、荒い行為に溺れる俺は、そんな言葉は耳に届かない振りをして行為を続ける。
言葉にならず甘く漏れるお前の吐息も、喘ぐように喉から絞り出される声も、俺の鼓膜だけを優しくくすぐり、甘い睦言はすべて周囲に漏れぬよう波の音が隠してくれていた。
快感の波が過ぎ、立っていられす震える膝で、カミュの躯がもたれかかってきた。俺はなぜか意地になって、渡された紙幣から一枚抜き取り、こう云った。
「今度は俺がお前を買う、今から、すぐ」
「ふ、今日中に役にたつようになるのか?」
「生意気いうな、おまえこそ脚もたたないくせに」
なんだか妙にうれしくなって、お互い笑いながら子供じみた言い合いをしたあと、こんど逆に押し付けたマネークリップの紙幣は、たった一枚になっていた。
「今度は一枚だけだな、私も安くなった」
「ああ、おまえがいるだけでいいんだ」
咄嗟に出た本音。
そして、俺は自分で渡した、その一枚の意味を考えて呆然とした。
最後の一枚がなくなったら、俺たちの関係は、何になる?
対価を必要としない関係、そんなのってまるで…。
「恋人のようだな」
いたずらっぽい色を含んだ紅い瞳がそう答え、まじまじとその瞳を覗き込んで、数秒経ってから、俺はやっとその意味を飲み込んだ。
あ、そうか。この感情は、そういうことだったのか。
最初に主導権を握っていたのは多分俺だった筈なのに。いったい、なにがおこってしまったのだろう。
どうやら、あのとき、あまりにもしあわせで、そう言いたかったのは俺のほうだったらしい、ただ、その想いが何であるのかさえ知らなかったが故に、言えなかったのだ。
だから、あのときお前がいったことばを、へたくそな発音の仏語で真似し、耳元でささやいてみた。
「 Je t'adore.」
すると、お前はくすくすと砂浜に横たわり、細い指で行為を続けながら笑う。
自分も、まだ、熱の残る海岸に砂だらけになりながら波の音を聞いて横たわる。
次は空になったマネークリップを渡されるのだろう。
そうしたら、俺たちはこれからどうなるのだろうか。二人でなら、きっと籠の鳥なんかじゃあない、あの天空まで行くことができるかもしれない。
初めての感情にわけもなく胸を弾ませながら、俺は満天の星空を見上げて想った。
了
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2012/9/9
hold all the chipsは 「主導権を握っている」という意味らしいです。
語源は賭け事のchipだと思うのですが、「サーヴィスチップ」の意味をかけてみました。
主導権は…拙宅の場合どちらにあるのでしょうか。