Un désir secret
一日の訓練が終わるころ、氷河の金髪にふと触れた。いや、触れてしまった。
残照に照らされたその柔らかさ。キグナスを継ぐことになった彼の髪色は多少アジアの色を含んでいて濃く。「彼」のものとは違うと頭では理解していたが、白夜に目が眩んでしまったのか、凍える程寒いにもかかわらず、私の心だけは蠍座の豪奢な髪を撫で、あの灼熱のギリシャに戻っていた。
そのまま導かれ、惹かれるように氷河の髪を撫でて、うっとりとその感触を味わっていた。訓練に濡れた汗、金色の波打つ髪。今のミロよりも短いそれは、子供の頃の訓練の後、汗まみれになった過去そのものに見えた。
当時の私はどうもスキンシップに関して過剰すぎるか素っ気なさすぎたらしい。とりわけあの蠍座には執着した。その感情が醗酵し自分の中で恋情という名前に変化してしまった今も変わらない。子供の私は、自分が何をしているかあまり解らずに、ミロの唇、手、頬に触れている事がよくあった。暖かかったからだ。聖域の中で唯一彼だけが私と繋がっていた。蠍座が心をあずける。だから水瓶座は彼だけを信じる。私たちの性質とは最初からそのようなものだった。
だから、食事の最後に彼の頬についたケーキのクリームを舌ですくいとる事も、ミロの唇からはみ出したハムが食べたくて口から横取りして齧る事も、怪我をした手を舐める事も、年長者に驚かれたり、たしなめられたが、自分にとっては全てが自然なことだった。
それが、性的な感覚と繋がると知って。いつしか、顔を赤らめたことがある。そう、ベッドの上で。関係が始まってから何回目だっだだろう。彼が『俺の前以外でそういうことをするなよ。お前はそういうところが無防備なのだから。』と、軽い嫉妬とともに言うまでは忘れていた。あの、何かに嫉妬する蠍座の瞳は、何と心地よかった事か。
ふと、脳が現実に引き戻された。氷河の髪に触っていたのは多分数秒だったと思う。いやそう思いたい。急いで手を離すまでの時間は、どのぐらいだったのだろう。数秒であればいい、と早鐘のような鼓動のうちに祈るように願った。
私は、その瞬間なにもかも忘れていた。この子の師であることも何もかも。蠍座との思い出の中の過去の自分に回帰しながらも、私のキグナスに触れ、その匂いを嗅ぎ、汗の感触を味わった。おそらくあまりにも陶然とした私の表情を見て、氷河がいぶかしげに『…先生?』と呼ぶまで、実際私の心は『彼』との過去に満たされていたのだ。
氷河の様子に気がついて手を離したときには、もう彼は少年の顔に戻ってあどけなく笑っていった。「先生、疲れているのですか?」その笑顔は、なにも知らなかった、まるでいつかの私たちのようだった。
突然わき起こった罪悪感に堪えられず、私は、ことさらに師匠の顔をして「氷河は良くやっているな、今日の訓練は終わりだ」と告げた。「私は用事があるので先に寝ておくように」と続けようとして涙が出そうになった、なんという酷い裏切り、もしかしたら、涙を零しそうになっている自分を隠したくて、少し硬い表情をしていたかもしれない。私は、黙って、複雑に絡まった糸に縛られるようにきりきりと痛む心に押しつぶされそうになりながら、自室に鍵をかけて閉じこもった。
ドアを閉めたとたん、大声で泣いてしまいそうだった。こんなに気持ちを持て余している自分に、師など勤まるのだろうか。
だが、心のもう一端が叫ぶ。私はいったい何をしているのだろう。本当はあの、長く、豊かで、埋まる程の黄金の髪の感触に、今頃埋もれている筈だったのに。すこし角張った顎、会うたびに大ききくなる手に私は包まれて、息も出来ない程のくちづけをしていたかもしれないのに。
だが、私は師でもあった。最近キグナス候補の一翼を失い、少しばかり冷静さを欠いた私の指導が遅れていたために。先日、電話で彼に告げたばかりだったのだ。『済まない、今月は帰れそうに無い』『…ああ、解った』すこし間を置いた呼吸が寂しそうに聴こえたのは私の錯覚だったのだろうか、彼の口調はそのあと妙に明るく振る舞ってはいたが、電話口で感じる奇妙な解離に心がちぎれるような切なさが襲う。
いったい、この若輩の私が、何故師匠などをやっている。もう、感情は溢れる寸前で、弟子への罪悪感と、あの男を希求する魂がごっちゃになっている。
それは彼に逢う事よりも重大なことなのだろうか。わかっている。もちろん、答えは自明だ。だが、人間とはなんて愚かなのだろう。
簡素なベッドに突っ伏して、自身の手を頬に這わせ、自らの躯を抱きしめた。こんなものじゃない、彼の腕は、胸板は、掌はもっと大きい。私の髪を救う長く節くれだった指も。
何度も繰り返している、自分を慰める行為。右手は下肢に、もう片方の手は乳首に伸びていった。なんという堕落。キグナスに対しての裏切り。解っている、私は愚かだ。そう思いながらも、彼の感触を思い出しては一つずつなぞっていく自分がいた。
彼は乳首を突然抉ったりしない、ゆるりと息を吹きかけながら、舌の先を尖らせて焦らすように舐め、ときにごく甘く噛み、耐えられなくなった私が声を出し涎を垂らして懇願し、どちらの唾液かわからなくなるまで滑らかになるまで責め続ける、そこだけで脊髄がひくひくと反射する、 それは甘い拷問だ。狂う寸前まで追いつめられる。
そろそろと局所に伸ばした手も同じ、そのころには恥ずかしくもぬらぬらと垂れた液が鈴口から滴り、彼が触るのを待っているというのに、あの長く繊細な指は、触れるか触れないかの感触でそっと撫でていく。そのうちに、彼の頭がいつの間にか脚の間にあって。待ちのぞんでいた豊かな髪に指を入れ、私はその黄金を思い切り抱きしめるのだ。至福の頂点が近くなり、興奮と羞恥に震えながらも、私は痙攣する脚を大きく開いていくしかできない。先日の行為を想い返し、自身の腕を嚼んで抑えていた激しい獣のような声を、漏らさないように慎重に、はあっ、はあっ、と細かく荒い息をしながら、想像の中で私は彼をなぞる。やっとぬるついた屹立をしごき始めると、私は止まらなくなる。そのころの彼の手はやわらかいとばぐちにあるのだろう、自分の欲望が加速し、なにかが弾ける感触がした。つっぷしたまま激しく動かしていた片手が、放出の瞬間だらりと止まり、躯がぶるりと震え、膝が折れる。
一人で放出してしまった、大量の残滓。その瞬間だけ、私は、一瞬正気に戻り、そして、泥のような眠りがおそってくる。
ああ、これでも私は、師と呼べる人間なのだろうか。曇ったガラス窓とブリザード、汚れたシーツは応えてはくれない。
逢いたい、逢いたい、あいたい---。
狂おしいほどに。私はあの太陽の色を求めている。お前は私を想って、こんな事をすることはあるのだろうか。この飢え、この孤独、この恋は私の一人相撲なのだろうか。身を切るように魂を求めるこの欲求と、覚えたばかりの快楽の果てにぽっかりと心にできる空虚の穴。これは一体なんなのだろう、もしそれを繋ぐものが性愛というのならば、何と私たちは不完全な生き物なのだろう。
お願い、抱きしめて。無垢で小さなこどもだったときのように。包むように、優しく。何も知らなかったあのころのように。
欲望の残滓で、栗の花の匂いに汚されたシーツを、ちぎれん程に握りしめながら、私は。辛く、しかし逃れようも無く甘い路に踏み込んでしまった自分に、嗚咽した。
Fin
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2013/7/6