にわか雨に迷った仔猫がやって来たおぼろげな記憶がある。

 もう顔も覚えていない沢山の兄弟が抱いて暖めて、俺がミルクをやった。

 元気になった猫はすぐさま家を飛び出して行ったけれど。

 そういえば子供の時の俺は、なんだか真夏の雨が楽しみだった。


 つい最近の出来事があるまで、すっかり忘れていたけれども。


 


 -----It's raining cats and dogs------



 


 ギリシャの夏は、太陽の季節だ。

 そりゃあ暑いけれども、ここで生まれ育った俺はこの季節が大好きだ。

 青々としたオリーブ、高く茂るナツメヤシ、頬にあたる海風。美味いメシ。

 地中海の乾いた風が髪を撫でてとおり抜けるこの季節は、いつもなにかが起こりそうで、何故かすこし胸が弾む。なぜなのだろう。


 ギリシャではほとんど、夏にまとまった雨が降らない。

 でもごくまれに、通り雨のような土砂降りの雨が降る、黒い雲が一瞬で天を覆い尽くし、天の恵みを分けてくれる。

 そう云えば聞こえは良いのだが、聖域内は昔の遺跡に近い構造で、石ころの道が多い。雨に慣れぬ地形は地方の村のように、一瞬の驟雨であっても川のように泥水が道にあふれ、なかなか引かないことがある。

 何か足元に気配を感じて見下ろすと、ぬかるみの中をびしょびしょになって歩いて来たしま猫が俺を見上げていた。ギリシャには猫が多い。聖域まで入ってくる事は稀だけれども。ああ、そういえば、兄ちゃんたちとミルクをやったな、と消えかかった子供の頃の記憶を思い出し、抱き上げ、宮内に入れて濡れた毛を拭いてやり、

「お前、凄いな。十二宮のこんな上まで。褒めてやるよ」

 と冗談めかして言いながら、ミルクを暖めに台所にたった。


 熱過ぎないようにミルクパンを火にかけていると。背後のドアが、きい…と開く音と生温い風が入り込んで来る。振り向くと、こんどは紅い髪がびしょびしょに濡れた大きな猫が立っていた。こう想っている事を知ったら本人は怒るかもしれないが。こいつは結構気まぐれで、背中に時々爪を立てるし、なによりも俺のことを凄く振り回すんだ。

「お仲間が来たよ。」

 そう含み笑いをしながら、皿を床におくと。カミュは怪訝そうな顔をして俺を見、それから足元をみて、納得したように頷いて云った。

「わたしにもタオルを貸してくれ。」

 言われなくてもそうするよ。紅い髪から花弁についた雫のようにぽたぽたと水滴が滴りおち、すこし翳った蝋燭の炎が映っていた。

 ほんとうはこのままその艶を見ていたいぐらいだが、幾分大きめのタオルで包んでやると、カミュは長い髪が絡まるのも気にせず、わしわしと拭く。

「どうしたのだ、この猫は。」

「軒先で拾った、天蠍宮まで来るなんて、案外に聖闘士の素質があるな。」

「成る程、確かにな。」

 そういってお前は目を細め、俺は柄にもなく弱音を吐いてしまう。

「なあ、ここに来るまでの記憶って覚えているか? 俺は沢山居た兄弟と猫に餌をやった気億がうっすらあるんだが、兄弟の顔もなにもかも思い出せないんだ…。」

 言いおわるか終わらないかのうちに、俺はカミュのタオルの中にぎゅっと包まれた。こういうとき、カミュは何も言わない。お前だってきっとそうやって連れて来られたんだろうに。ごめん、なんか情けない事言って。だが、ふわふわのタオルとしなやかな腕にくるまれて、心のさざ波が静かに収まっていく。

 髪の先からしずくがぽたりと俺の胸に落ちる。ああ、もう少し髪を乾かさないと風邪をひいてしまうじゃないか。


 満腹になった猫は、いつの間にか出て行ってしまっていた。

 雨上がりの空特有のいっそう強い日差しが天窓から差し込み、乾きかけの髪は夕焼けに照らされ燃えるように輝いていた。

 すると、西日を背にして恬淡とカミュは言う。

「雨が止んだ、帰る。」

 やっぱりおまえは猫なのかよ、すぐにどこかに行こうとしやがって。

 タオルを奇麗にたたみ、さっさと出て行こうとするつれない手首を、かろうじて掴み、ぐっとひきよせて訊ねた。

「あんな何にもない宮に帰ってどうする?」

「眠るのだ。」

「ここでも眠れるだろう。」

「いやだ、ここだとぐっすり眠れないから。」

「お前、俺のこと何だと思ってるの?」

「……。」


 結局、気まぐれな想い人は、仏頂面をしながらも一緒に夕食の席に着いてくれることとなった。俺は最初のうちこそ上機嫌だったが、だんだんと暑さをとりもどして来た部屋で、なんだかカミュはぐったりとして食欲がなく、あぶなっかしくてたまらない。ギリシャの夏の名物料理。冷やしたゲミスタも口に合わないみたいだ。いつもは好きなのに、どうしたんだよ?

 仕方なく俺が少しずつ口まで運んだ水を飲ませてやる。

「さっきの猫だって自分で喰っていたぞ。」

「一緒にするな。しかし、なんだか、躯があつい。」

 ほら、また意地を張って無茶言いやがって、と思う首筋にするりと腕が絡んだ。

「…すこしだけ、横になりたい。」


 汗を拭き、背負って運んだベッドでも、へらず愚痴は健在だ。

 すこしだけ高揚し火照った頬で、うわごとみたいに『雨だから猫が来たのかな』なんてよくわからない事を言っている。

「なんだよそれ。」

「 It's raining cats and dogs(どしゃぶりだ)という諺の語源はしっているか?」

「こんなときにも講義か?」

「われわれは神話と星に支配されている、少しは覚えておくといい。 catという単語はギリシャ語のcatadupe (waterfall)、他にも北欧神話で、嵐の神とされるオーディンが猫と犬を従えていると言われているのだ。」

 そういってふふと微笑む。なんでそこで嬉しそうに笑って云うかな、ふうふうと熱い息をはいているくせに。しかも俺の口から水を飲もうとするのはなんでなんだよ。

「…汗、凄いよ。」

「夏の、せいだ。」

 舌先が深く差し込まれ、もっと、と紅い唇が水を欲しがって彷徨う。俺が持って来たピッチャーの水をごくごくと飲みほすと。更に俺の口内をまさぐる意思をもったかのような舌は、口蓋の敏感な部分にちろちろと触れる。だめだ、これ以上は、止められない。

「気分、悪いんじゃなかったっけ。」

「かまわない。」

「そんなに、俺がすき?」

 そういって貝殻のような耳朶をそっと噛んでみた。

 ちょっと自信が無い俺の照れ隠し。

「莫迦を、云うな。」

「くすぐったい?」

 お前の肌から玉のように汗が流れはじめ、躯から妙な熱がひいて行くと、汗以外の体液が徐々に混ざる蒼い匂いが漂い、お互いの躯は興奮を告げはじめている。

「ああ、此処はぬかるみの中のようだ。」

「俺は好き、躯が離れられなくなるみたいで。これ、どっちの、水なのかな。」

「しる、か。」

 濡れたお前の中に滑り込むのはあまりにも容易で、自然すぎて、深く導かれた躯の一部は誘われるがまま、抜き差しが止まらなない。ああ、お願いだ。そんな甘い声をあげるのも、ときに痙攣する躯も、屹立からたらたらと淫らな液を垂らしては、指先で掬って口づけするのも、反則だよ。

「…ここまでするつもりはなかったんだ。」

「今更、いうな。」

「じゃあ、目じりの水は?」

「何でもない。」

「おれとこうしていると、幸せ?」

「…教えない。」

「ずるいな、どうする? これから。」

 すると、少しの間をおいて、じっと俺を見つめる瞳が云う。

「すこしだけ、離れないでいてくれ。」

 そういって、静かに瞼が閉じられた。

 云われなくても、いつでもそのつもりだよ。

 その、やすらかな寝顔をみて、おれは安心して眠りにつく。









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2012/7/21



某様にお捧げしました!


※Twitterの会話妄想が盛り上がり、出来上がったお話です。いつもありがとう!

※ギリシャの定番夏の料理に「ゲミスタ」というものがあり、冷やしたスタッフド・ピーマン&トマトのようなものらしいです、美味しそうです。調べましたがあんまり文章に関係なかったです、いつか食べてみたいです。

※翌日のカミュは、速攻元気になっていて「いつまで寝ている、訓練だ」なんてミロを叩き起こすと思います。結構頑丈(笑)。多分、猫に遠慮して水を飲み忘れたんじゃないかと、熱中症?というか氷の聖闘士なのに!?というツッコミは無しでおねがいします!