「...すぐにもどるよ。カミュ。」

 生きている人間にいうように男は優しく囁き。

 豪奢な蜂蜜色の巻き毛が床に広がる真紅の髪の上にかぶさった。




----Northern Cross---



 

俺はぼんやりとした意識と霞む視界の中。

倒れ臥す師とその男の気配を感じていた。

 

男は天蠍宮の主。

俺がこの十二宮で闘って初めて知った事実。

...師の親友もまた黄金聖闘士だった。

 

 師カミュと対峙した俺は、聖矢たちの小宇宙が十二宮を突破した事をうっすらと小宇宙で感じ。女神の降臨を予感しつつも、動く事も出来ずに宝瓶宮の床に倒れ伏していた。

 朦朧とした記憶の中で懐かしいブリザードの音がごうごうと鳴っている。

 寒くて苦しくて辛かった修業時代、シベリアの大地で俺たちと大好きな先生が住んでいたあの小さな小屋の中だけはとても暖かかった。

 

 ミロはときどき、もさもさした髪に氷の破片を付け、鼻先を凍らせながら夜中にやってきては。

「お前らよくこんな所に住めるなあ!!」

 なんて軽口をたたくと、すぐに暖炉の前に陣取り。

「ずるーい!」

 と騒ぐ俺や兄弟子のアイザックをガキ呼ばわりしてからかって。

 いつも偉そうにしていたけど。黄金聖闘士だなんて一言も言わなかった。

 

 俺も幼いときは、先生が「親友だ」と紹介していた言葉を信じていたけれども、だんだん、物が解るようになってきてからは。

 この二人は「特別な関係」なんだ。と理解してちょっと悔しくて。

 ミロが来たときの先生の笑顔を見る時は、すこしだけ胸がちくりと痛むようになった、それはなぜだか解らないけれども。

 

 でも。

 さっき、俺の薄い視界の中で。

 先生に近づいて座り込むミロが一瞬、見蕩れたようにゆっくりと先生の顔を覗き込み、今度はとても不思議そうな、納得できないような顔をして立ちすくみ。

「カミュ...。起きてよ。」

 といってその頬に手を伸ばし、指先がその頬に触れた。

 その瞬間のミロの表情は忘れられない。


 小宇宙の消失で魂が無い肉体だと解っているはずなのに、それでもどうしても理解できないような、どうしても飲み込めない苦い薬を飲んだような顔をして。絶望というには深すぎる光が蒼い瞳によぎった。

 

 でもそのあと。すぐに優しい瞳でカミュを見つめ、まるで生きている人間にするかのように、大切な壊れものを扱うように髪を撫で、話しかけ。

 もうなにも見えず、感じず、聴こえていない筈のカミュを気遣うかのように一生懸命笑顔を向けて。

 繰り返し、繰り返し...頬に。耳に。そして唇に口づけをおとしているミロの姿をみて。カミュは、幸せだったんだな。と素直に思った。

 

 足音がこちらにゆっくりと近づいてくる。

 俺は命をかけて相対してみて。やっとミロの本当の姿が少しだけ見えた気がした、このまま生かせば、師と闘うかもしれないというのに。

 一度は死にかけた俺を蘇生してくれたとき。

 シベリアで笑っていた時にはきれいに隠していた熱い心の芯。

 

 ミロはなんの忌憚もなく。本当に俺が生きていた事を喜び。

「氷河。よく生きていたな。治療が必要だろう。女神神殿まで連れていってやるよ。」と言って俺を抱き上げた。

 俺はぴくりとも動けず、なにか言おうとしても唇さえ動かなかったけれども。その力強い腕は、カミュが毎晩寝かしつける前に抱きしめてくれていたときのように暖かく、とても安心して俺は力を抜いた。

 

...こつりこつりと十二宮の階段を上りながらミロは言う。

「聞こえているか解らないけれど、よかったら話をさせてくれ。夏の空にはお前の星座が見える。白鳥座は、別名ノーザンクロスっていうんだ。知ってたか?はは。近くに俺の星座もあるな...。」

...知ってましたよ。先生はなんでも教えてくれた。

 俺は、宝石のような真紅の瞳でシベリアの空を仰ぎながら教えてくれた師の整った横顔と。そのとき言った言葉をおもいだす。

『氷河。南十字星に対して白鳥座を北十字星という。古来から船乗りたちを導いてきた誇り高きノーザンクロス。あれがお前の星座なのだ。』

先生は俺の星座を本当に誇らしそうに語ってくれたんだ。

 

ミロは俺を抱えて歩きながら、呟くように言う。

「あいつの星座は……遠いなあ。」

 

 ゆっくりと石段を上りながらミロはぽつりぽつりと話す。

「カミュは..お前と闘えて嬉しかったと思う。本当だ。」

怒るでもなく、哀しむ訳でもなく。静かにそう言う。

「カミュが弟子を取ったときに、誰より喜んだのは俺だったかもしれない。あいつには、勅命なんていう名前の人殺しなんて似あわない。

だから、俺は教皇...いや、今となっては違うと解ったわけだが..その命令がおかしいと思ったって。カミュの手が血で汚れて。真面目なあいつが苦しむぐらいなら。それが避けられるなら。それだけでよかったんだ。」

 

霞む瞳に満天の星が見え、ミロの声が遠く聴こえる。

「...俺たちの生業は所詮人殺しだ。正義のためという勅命だって結局は『聖域に反した』

...それだけの理由だったりする。俺だって理不尽だと思った事もあったよ。

完全な「善」や「悪」。そんなものあるのかどうかなんて女神が降臨した今だって俺には解らない。」

そしてミロは、先生に呟いていたように優しい声でこう続ける。

 

「...でもあいつには。カミュには。汚れた仕事なんて絶対にさせたくなかった。

カミュの勅の分もお願いだからまわしてくれなんて。必死になって願い出たこともあったなあ。」


...カミュにはナイショだぜ。

なんて先生が生きているかのようにミロは俺に耳うちする。

「俺はいくら汚れてもよかったんだ。あいつを守る為なら。いくらでも、何でもやれたよ。」

 

 こつり、とその足が止まる。

「神殿についたよ。氷河。」と俺はそっと寝台におろされた。

 広大な女神の小宇宙が聖域を覆っているのを感じる。

 

「じゃあ、俺はいくよ。氷河。」

 踵をかえして、ミロはひらひらと手を振る。

「あいつを迎えにいかなきゃ、な。」

 そういってもういちど宝瓶宮に向かう足音は。

 とても、しあわせそうに響いて。辛かった。

 




FIN

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2010/9/10