私の爪はいつもミロが手入れをしている。

正直言って私はマニキュアの種類などは解らないし興味もない。
色も銘柄も勝手にミロが選んでくる。
勅に行く時もトランジッションがわざとある飛行機を選んで、空港で紅色ばかり何種類も買う。
そして天羯宮に奇麗に並べて常備している。
おまけにネイルケアオイル、ベースコート、トップコート、ハンドケアクリーム。
そしてグラインダー、ガラス製のネイルファイルまで揃えている。

ミロがけっこう凝り性なことは私しか知らない、と思う。
彼が他人と接している時のことはあまり考えない。
凍気と修行と弟子のこと、それだけでなるべく頭を一杯にしておく。
自分が不器用な事はわかっている。だから。
考えるとちょっとだけ自分がおかしくなりそうだから。
離れている事が辛くなってしまうから。

いつだったか。聖域を離れる前。
「お前の髪の色と爪の色。それから俺の爪はお揃いにしような。」
とミロが言い出して。
そのままアテネ市街までいまよりすこし小さな背中で走って行った蜂蜜色の巻き毛は。
戻ってきたときにはもう買ってきたマニキュアを握りしめていて。
まだ小さかった私の爪に塗ってくれた。

初めてのネイルは少しよれていたけれども。



塗ったあとはいつでも
「乾くまで絶対動くな。俺がなんでもやってやるから。」なんて言って。
飲み物でも甘いものでもなんでも...。
私が欲しいと言えばつまんで口に入れてくれた。

最初はチョコレートボンボンをつまんでくれるだけだったのが。
口の端から溢れたリキュールを奇麗に舐められるようになって。
舌に残るアルコールを差し込まれた舌で絡めてとられるようになるまで。
どれほどの時間がかかったろうか。

あまりに自然すぎていつの事だったか憶えていない。
くすぐったい時もあった。でも、動いてはいけなかった。
それがこの悪戯のルールだった。


---天蠍宮の窓から、夕日が差し込む。

聖域への召還の帰り、シベリアに戻るまであとたった一日しか無い夕暮れ。
私をソファに座らせて、ミロは湯で暖めた私の両手の下に丸めたタオルを置く。
慣れたものだ。載せた手を丁寧に揉みほぐしながらミロは云う。
---疲れただろう? 手が凝ってるよ。俺にはわかる。
彼だって疲れているかもしれないのに、いつも笑って彼はいう。
夕日が反射する蜂蜜色の髪と、蒼い瞳。
その静かな光景と私の手を擦る彼の手はとても暖かく優しく。
シュッ、シュッという規則的に爪を磨いて行くネイルファイルの音に。
私はついうとうとしてしまう。

...ふと目覚めると。
マニキュアはトップコートまですべて奇麗に施され、殆ど乾いていたが。
居る筈の彼が目の前に居なかった。

自分でも馬鹿みたいだと思うのだが
起きた瞬間にミロが居ないことが妙に不安になり立ち上がって彼を呼ぶ。
「ミロ!どこだ!」
ぎい、と開いた扉から彼がお茶を持って入ってくる。
ぱあっと、きらきら輝く髪が眩しいおひさまみたいに。

「どうしたんだよ、あと少し...動くなよ...?」
たった一瞬いなかっただけで、こうも彼を追ってしまう自分に腹が立つ。
そして、いつも表情に出せない自分に苛つく。
そう、ただ表情に出せないだけなんだ。私は。

するとミロは
「リストリクション!」
なんていって私を指差し、片目をつむり、唇の端を上げ。人差し指を向けて言う、もちろん技はかけていない。

かけていたとしても黄金の私に効く訳が無い。
いや...でも、そのまますとんと椅子に腰をかけた私は。
もう、動けない。

どうしたらいいのか解らない顔をしていたであろう髪を梳いて、ミロは云う。
「ウォッカ入りのロシアンティー。甘めで、濃いめ。好みだろ?飲む?」
「...ああ。」
私は生返事でうなずく、そしてそのまま手を伸ばし、首筋にしがみつく。

「おっと。まだ、動いちゃ駄目だ。せっかくの奇麗な爪が...。」
そんなミロの言葉を遮り、貪るように頤に指をかける。
ぐいと引き寄せた唇の感触を味わうと柔らかい巻き毛が頬にあたる。
もう本当に馬鹿みたいだ。そんなこと、知ってる。解ってる。

「そんなこと。どうでもいい。もう少しこうして居てくれ。」
するとミロは笑ってこういう。
「...惚れた俺の負けってことか。わかった。降参!」

...ちがう。
リストリクションにかかってしまったのは
きっと、私の方なのだ。



FIN




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